有終の美なるか「H2A」最終号機の打ち上げへ”名作ロケット”はいかにして生まれたのか

高い信頼性を誇った日本の主力大型ロケット「H2A」の最終号機「50号機」が29日午前1時33分、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられる。

49機中48機の打ち上げに成功し〝名作ロケット〟のラストフライトは「いぶきGW」と命名された国の地球環境観測衛星を搭載し、打ち上げの約16分後に分離、軌道への投入するという最後のミッションに挑む。

画像:JAXA公式サイト

失敗が許されないプレッシャーを受けながらの開発

H2Aロケットは、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)および三菱重工業によって開発された純国産の液体燃料ロケットであり、日本の宇宙輸送能力を支える中核的な存在である。2001年の初打ち上げ以降、H2Aは長い時間をかけてその信頼性を確立してきた。

H2Aは、先代である「H-IIロケット」の反省を踏まえて設計されたH2ロケットの後継機である。

H-IIは高度な技術を用いていたが、コストの高さと打ち上げ失敗(1999年のH-II8号機など)が問題となり、日本の宇宙開発の信頼性に疑問符がついていた。そこで後継機ではより信頼性が高く、コスト効率の良いロケットが求められ「H2A」が開発された。

打ち上げ失敗で浴びた批判から立ち上がり勝ち得た信頼性

2001年8月29日、H2Aロケット試験1号機が種子島宇宙センターから打ち上げられ、無事成功。

この成功は日本の宇宙輸送システムの再構築に向けた重要な一歩となり、その後も順調に打ち上げを重ねたが、2003年11月に打ち上げられた6号機ではトラブルが発生し、打ち上げ失敗となった。

この失敗はH2Aの信頼性に再び影を落とすこととなる。

ロケットの打ち上げ失敗は、時に膨大な開発費を費やしていることから批判されることも多く、当時は先代のH2の失敗も記憶に新しかったために賛否両論、様々な意見が渦巻いた。だがそういった世間からのプレッシャーを受けながらも、その後の徹底した原因究明と改良によって、H2Aは再び打ち上げに成功。

2005年の7号機以降は、連続して成功を重ね、やがて「失敗しないロケット」としての評価を確立していった。

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特に、商業衛星の打ち上げや、情報収集衛星、さらには「こうのとり」(HTV)が宇宙ステーションへの補給機として重要な役割を果たし、多岐にわたるミッションに成功したことが、H2Aの信頼性を国際的にも高めることにつながった。

驚異の打ち上げ成功率で数々のミッションをこなす

2020年までに、H2Aは40回以上の打ち上げを行い、その成功率は97%以上に達する。特に2005年以降は連続成功を続けており、これは世界の主要なロケットと比較しても非常に高い水準である。

代表的なものでは2014年に26号機で打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ2」は小惑星リュウグウで岩石試料を採取し、20年に地球に帰還した。

月面着陸に日本で初めて成功した小型月着陸実証機「SLIM(スリム)」も、23年に47号機が送り出している。こうした実績により、H2Aは日本のみならず世界の宇宙業界からも高く評価されるようになった。

◇  ◇  ◇

今後は、H2Aの約半分のコストで打ち上げられる「H3」が後継となり、24年度に本格運用が始まっているため、基幹ロケットの座を譲ることになる。今回の50号機が最後のミッションとなるが「H2A」が果たした功績や、辿った軌跡は、日本の宇宙開発の粘り強さと技術力の証として刻まれるだろう。

 

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