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- 夏の終わりに”森山直太朗の「夏の終わり」”を聴くという至福のルーティン
「今年の夏は暑かった…」ここ数年、同じことを言っているような気もするが、今年は酷暑と言われた23年、24年よりもさらに暑く、統計上で一番暑い夏だったことが発表されている。このように、ここ数年は毎年のように記録を更新しているような状況だ。

特に今年は異常なほど梅雨が短く、6月半ば頃から猛暑日が続き、例年なら7月中旬頃に梅雨が明けて本格的な夏(暑さ)が到来するので、単純に今年は1か月も夏が長かったということになる。
そんな暑かった夏もすでに9月に入り、日が短くなりつつあるのを感じるが「お盆も過ぎれば暑さも落ち着く」などといった過去の常識も通用しなくなり、まだまだ残暑は厳しい。
ただ、雨が降るごとに季節が進むと言われる時期になって、日中は暑くても夜には秋の虫の声も聞こえ始め、かすかに「夏の終わり」を感じるようにはなってきた。
どんなに暑くても夏の終わりに感じるノスタルジー
日本の夏は独特の蒸し暑さがあるため、情緒的に「涼」(涼しさ)を求める文化があったり「花火」や「お盆」という風習も、どことなく風情があり「儚さ、切なさ」を感じる。
ゆえに海外の「夏=バカンス」というような単純には語れない、いわゆる「ノスタルジー」さを纏っているのが日本の夏なのだ。
そんな日本特有のノスタルジーさが「夏の終わり」を特別なものにしており、個人的には日本の四季の1つだと思っているのだが、その季節にあたるのが9月になる。
「春」「夏」「夏の終わり」「秋」「冬」
夏が苦手な筆者は(夏生まれなのに)、いちばん好きな季節を聞かれれば「秋」と答えるが、厳密には「夏の終わり」ということになる。
それはなぜか…
苦手な夏が終わるというのもあるが、子供の頃にいわゆる「田舎の夏」を経験しているのも大きいのかもしれない。住んでいるのは東京のベットタウンだが、小学生の時の夏休みには決まって東北の母親の実家に預けられ、まさに都会では体験できない、ゲーム「ぼくのなつやすみ」のような夏休みを過ごしていた。
だが、大人になるにつれ「子供の頃の夏休み」ではなく、単なる暑いだけの夏になり、苦手になってしまった。だが自分の中の夏のイメージはいつまでもあの時の夏であり「夏の終わり」には、なんとなく「ノスタルジー」感じてしまうのである。
森山直太朗「夏の終わり」を聴いて過ぎ去る夏を感じる至福
そんな夏の終わりに聴きたくなる名曲はといえば、井上陽水の「少年時代」、ZONEの「secret base〜君がくれたもの〜」などいろいろあるが、まさにその名のとおりドンピシャの曲が、森山直太朗の「夏の終わり」だ。
この曲は2003年8月に発表されてから20年以上が経ち、今や「夏の終わりに聴きたい」曲の代表曲(名曲)になったといえるだろう。
歌詞はとてもシンプルだが、情景が浮かんでくるような言葉が並び深みがある。遠く離れた恋人を想っているようにも感じるし、失った大事な人を想っているようにも感じるが、本人いわく「反戦歌」だという側面もあり、祈りなど鎮魂を想起させる歌詞もまた、過去の戦争を振り返ることの多い8月だからこそ心に響いてくる。
オリジナルも良いが、風鈴に囲まれて弾き語りをするYouTubeの「にっぽんの百歌」バージョンは、毎年この時期になると視聴しに(聴きに)来る人も多いようで、コメント欄にはこの曲に対しての色んな想いがつづられているのも興味深い。
暑く長かった今年の夏も、もうそろそろ終わりが近い。本格的な秋を向かる前に「夏の終わり」という曲を聴き、短い「夏の終わり」という季節を感じてみてはいかがだろうか。