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- 『翔んで埼玉』なぜ県民は「ダサい」を受け入れ笑えるのか?「陽だまりの埼玉」という結論
埼玉県にとって『翔んで埼玉』などという茶番映画が出来てしまうのが良いのか悪いのかわからないが、埼玉県というのは昔から色々と虐げられた(笑)存在なのは間違いない。
筆者も生まれながらにして生粋の埼玉県人だが、子供のころから何度「ダさいたま」なんて言葉を聞いたことか。
また「さつまいも」が川越の名物で有名だからか、県の形まで芋に似ているだとか、こじつけられて「芋っぽい」(田舎っぽい)と言われることも昔はあった。
でも、なぜそんなことになったのか…
日本の都道府県で田舎者扱いされたとしても「ダサい」などと言われることはないはずで、そんな根拠もなけりゃ言われのないレッテルを貼られて生きている埼玉県人は、いったい何をしたというのか・・・
目次
県名に隙?「ダさいたま」といわれるようになった背景
ただ埼玉県人として思い当たる節はないのかと言われれば、確かに原因はいくつか思い浮かぶ。
1、特徴がない
埼玉県(主に南部)は東京のベッドタウンとして発展してきた側面が大きい県だ。
それなら首都圏はどこも東京を中心に範囲を広げてきたのだから、神奈川や千葉にも当てはまるはずだが、神奈川は港町の横浜や、海といえば湘南など東京よりもイケてるスポットがあり、千葉も湾岸エリアの工業地帯や漁業などが盛んだったりと、それぞれ海があることで独自性を持って発展した部分が少なからずある。
よく埼玉には「特徴がない」と言われるのは、都心から内陸への延長で独自性を感じることが出来ないからなのだ。
それは海のない内陸の地域ではよくあることだが、北関東に行けばまた独自に発展した文化なり温泉地なり特徴はあるもので、埼玉にも見どころはあるにはあるのだが、地理的に「北関東ほど田舎ではなく、東京ほど都会でもない」どっちつかずの半端な位置にあるため、何しろ目立たないのである。
2、近くて遠い東京への憧れ
埼玉は戦後、東北から上京してきた人たちが多く住み着いたことから、生まれも育ちも埼玉出身だという今の若年層でも、親や祖父母のルーツは東北というケースは多い。
そういう意味で時代が変わっても根っこの部分では東京に行ききれなかった田舎者という性質は受け継がれている。
東北の人からすれば東京も埼玉も同じようなものかもしれないが、実際に来てみると埼玉は埼玉で、真冬に東京から埼玉に帰ってくれば明らかに体感温度は低く、実際の気温も2、3度低い。それが埼玉県人にとっては近くて遠い「東京との距離」を感じる瞬間でもある。
それを埼玉県人は子供のころから東京へ買い物や遊びに行くたびに経験し、大人になれば日々の通勤で感じているのだ。
3、県の名前が隙を与えている
そもそも「ダサい」という言葉は古くからある日本語ではなく、1970年代の前半頃から関東の若者の間で使われるようになった一種の「流行り言葉」から一般的になったもの。
こんな言葉が出来てしまったことが埼玉にすれば運の尽きで、使われ始めた当初から嫌な予感しかしなかったはずだ。
後にも先にも頭に「さい」の付く都道府県はなく、ただでさえ劣等感を持っていた埼玉県人にとっては最も世の中に気づいて欲しくなかったことだが、ただそれも時間の問題でしかなかった。
世間に広まったのは『笑っていいとも!』でタモリが言ったから?
「ダさいたま」が世に広まったのは、あのタモリさんがテレビ番組の『笑っていいとも!』で言ったこときっかけだという説がある。
真相は定かではないが、当時はまだ「ダサい」という言葉が目新しかったこともあり、テレビで面白おかしくイジられたことで、何となく多くの人が感じていた埼玉への印象とリンクして世間に強烈なイメージを植え付けてしまったのは確かかもしれない。
他に誰かが「言っていた、言われていた」というのはあったのかもしれないが、時代を考えるとテレビの影響は相当あったと思われる。
今の若者は「ダさいたま」を『翔んで埼玉』で知る?
そんな「ダさいたま」も、今の若者の間では知らない人も多いらしく、映画『翔んで埼玉』で知ったという声も少なくないようだ。確かに使われ始めた1980年代を知っている世代も、今や40代以上にはなるので、時代の流れを感じずにはいられない。
それに埼玉の街(大宮、浦和、川口)も当時はとても綺麗とは言えなかったが、今はかなり整備されて「住みたい街ランキング」の上位に入るようにもなり、下手したら東京23区の外れよりも都心へのアクセスは良かったりもする。
また、蔵造りの街でも知られる川越も、東京から近場の観光地として随分とポピュラーになり、最近ではあの「芋っぽい」と揶揄されていた芋が「さつまいもスイーツ」なるものに化けて、若者が押し寄せるようになったというのだから、徐々にネガティブなイメージは薄くなってきているのだろう。
だが、時代も変わり「ダさいたま」を知らない世代が増えてきた中でも『翔んで埼玉』で笑うことが出来るのはなぜなのか。
悲しいかな、それは埼玉県人に脈々と受け継がれている東京や神奈川に対する劣等感(あえて千葉は言わないプライドをお許しください)はそう簡単に拭い去ることは出来ない。
埼玉県民の「劣等感あるある」は世代を超えるくらい強いということなのだ。
ダサいを受け入れる心の広さから「陽だまりの埼玉」へ
埼玉県人は「笑ったもん勝ち」ということを知っている。
昔から埼玉は色々言われたりネガティブな印象を持たれるが、そこで卑屈になるのではなく、自虐としてどこか楽しんでる節もあったのは間違いない。
それはなぜか、要は「怒る理由がない」から。
本当に貧しくて住みづらい街だったらそうはいかないが、埼玉は良くも悪くも”日本の平均”だと言われており、特徴がないゆえのスタンダードでクセのない地域(県)であることは知る人ぞ知る事実で、企業が新商品を世に出す際、まずは埼玉で試してから全国へというケースが多いというのは良く聞く話である。
埼玉は日本で最も晴れ(快晴)の日が多いことを知っているだろうか。
特別お金持ちでもなければ貧しくもない、埼玉はまさに日本の中間層の象徴のようなところで、基本的には何も不自由を感じていないのだ。また東京に劣等感を感じつつも近いからこそ欠点も良くわかっていて、東京は仕事や遊びに行く場所だと割り切っている部分もある。
要は「身の程を知っている」から余裕や寛大さが生まれ、何を言われてもイヤミには取らず、根に持つこともない、まさに全てを受け入れる「日本の陽だまり」のようなところなのだ。
「特徴がない」から何かを求めるのは無いものねだりで無意味だということ、人は多くを求めすぎるあまり、実は「普通や平凡であることこそが奇跡」だということを忘れてしまうことがある。
ちょっとばかり他より劣っていると思える人の方が賢く楽に生きれる、それが長年「ダサい」と言われ続けた埼玉が辿り着いた「境地」(結論)のように思う。
◇ ◇ ◇ ◇
「勾玉(まがたま)十六 心の輪」
埼玉県のマーク(県章)は、勾玉が輪になっていることから「さいたま郷土かるた」にはこのような札がある。
勾玉とは古代人が身に着けていた装飾品で、古墳などから見つかることもあることから、まさに埼玉という名前の由来となった「さきたま古墳群(埼玉古墳群)」にゆかりのあるものだ。
勾玉には祖先との繋がりや身を守る御守りの意味もあるが、当時は身分や位を表すものだったと考えられることから「高貴」な人物が身に着けていたと考えられる。
ただ「高貴」というのは現代に置き換えれば決して身分や肩書などではなく「気高さ」であるべきだと考えれば、まさに埼玉県人の心の広さと繋がっているのではないだろうか。
世界情勢が混沌とするなか、こうした埼玉県民の懐の深さにこそ、世界平和の糸口となるヒントがあるのかもしれない。